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毎回、描く前に用意していた僕の考えはことごとく打ち砕かれる。

「こんな絵を描こう!」なんていう僕の意向は絵の前ではまったく無力だ。

もちろん、描き始めるには何かきっかけ(たとえば、昭和のすごろくや映画のポスターなどを見た。ボロボロの看板にうっすら女性のシルエットを見た。インスピレーション?)が必要であり、そこから想像し得る、たどり着けるであろうとりあえずの目的地を目指して出発する。

だが、いざ描きだしてみると、道は思っていたような道ではなく、実際は仮想の目的地など存在せず、僕は僕の思惑とは関係のない場所にいる。そこをさまよううちに描き出した理由はどこか遠くに去り、ただそこにあるものだけを見ながら絵を描くようになる。絵と自分との距離がぐっと近くなる。

そんな事を繰り返していると、本当にごく稀にだが、僕が描いたとは到底思わない、思えない絵が出来上がることがある。何枚も何枚も描いてもめったに出会えない。たとえ他の誰であろうと二度と描けない、そんな絵だ。「在る」という事だけがのっかったキャンバス。

 

もちろん絵であるからして、絵具と画布が在り、浮かび上がる文字も山も景色もその他の何もかもが、突然そこに在り、なんの疑いもない。在るということに疑いはないが、僕はその景色をまったく知らない。その景色には過去も未来もなく、その景色(※便宜上、景色と言っているに過ぎない知覚)だけが在るべくして在る。デジャヴュとジャメヴュのどちらにも属さない。在ることは受け入れられるが理解はできない。5W1Hをせせら笑う景色。実にいい場所にたどり着いたと思い写真に収める。

もう一度行ってみたい場所。そしてまた絵を描き始める。「この前のあんな絵を描いてやろう!あそこにもう一度行こう。」

気が付けば、またもやたどり着けない場所を目指し始めている。

2017.7.31

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